テレビ大好きっ子がテレビ不要派に転換するまでのお話【偏見報道】

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その他

私はとにかくテレビが大好きな人間でした。両親の影響もありましたが、自宅に居るときは必ずテレビはついている。下手すると寝る時もつけたままなぐらい。テレビは無くなはならない必需品でした。

そんな私が今、引っ越しを機会にテレビを捨てようとしています。よくよく考えたら月に1回も付けなくなってきているし、ただ邪魔な存在になりつつあるのです。どうしてこうなったのか。

今回はそんな「テレビ好き!」から「むしろ不快」にまでなってしまった筆者のお話です。

テレビ好きは完全に家庭環境の影響

私の実家はとにかくテレビが好きな家庭でした。両親も好きだし、私や兄弟ももちろん好き。WOWWOWやケーブルテレビの契約もバッチリでした。俗に言う”チャンネル争い”があるごくごく平和な環境。

当時は「食事中にテレビを付けるなんて言語道断」なんて家庭も多かったですが、私の家はそんな家庭では無く、むしろ両親が見たいから付けているような状態でした。

その後、自分の部屋が与えられたときにも真っ先にテレビを手に入れる方法を考え、2000円で小さなブラウン管テレビの中古を買ったことを覚えています。あの頃のワクワク感は凄かった。部屋に一気に活気が増したように感じました。

のちにパソコンの世界へとメイン余暇時間をシフトした身ですが、それでもテレビは付けっぱなしだったし、バラエティ番組の録画も怠りませんでした。ドラマよりは”洋画劇場”や”探検ロケ”や”お笑い”を見ていたような気がします。

実家を離れてからもテレビ三昧

その後、大学生となり、一人暮らしになってからもテレビは必須でした。テレビ大好きな祖母の影響もあってか、この頃は寝ている時にテレビがついていないと落ち着かないレベルにまで依存していました。

録画予約もバッチリ。番組表も頭に入っていたし、毎週楽しみにしていた番組もありました。しかしこの頃から「俺、テレビ見ないんだ」という同級生や先輩をチラホラ見かけるようになってきたのです。

※「イキってんじゃねーよww」とか「はい、テレビ見ないスマートな自分アピールおつーww」とか当時は心の中で思っていました。ホンマにごめん。

友人や身近な人に『テレビ見ない派』が増えつつある状況でも、自分のテレビ依存状態になんの疑問も持ちませんでした。だってBGMにも使えるし、バラエティは面白くて気分転換にもなるし、芸能やニュースで話のネタも作れる。非常に便利だと疑いませんでした。

卒業してからも暫くは変化なし、しかし…

卒業後、仕事がメインとなっても特に自宅での生活ペースに変化はなく、外出時以外テレビ付けっぱなしの日々が続いていました。カフェで流れるBGMのごとく、無いと寂しく感じるんですよね。

しかしこの頃には友人達の中(独身組)でテレビを見る人は少数派になっており、皆PCだったりスマホだったりと別のデバイスを自宅でのメイン視聴ガジェットとしていました。

唯一しっかり録画しているような珍しい友人も、もっぱら深夜アニメの録画予約専門であり”テレビ好き”とはまたジャンルが違う気がします。

そんな日々が何年も続いた後、徐々にテレビを全く見ていない(BGMにしかしていない)自分に気づきはじめました。自然と録画もしなくなり、楽しみだった番組も減り、あくまで流しているだけになっていたのです。

また、この頃からインターネットで多く報じられている世界の情報と、テレビのニュースで報じられている情報に大きな差異があることに疑問を感じ始めました。

ニュースや一部の内容が不快になってきた

一旦気づいてしまえばドンドン気になってくる。後から思えば大学卒業後ぐらいからニュースの内容には触れない、見ないようになっていました。その状況が急に不快に感じてきたのです。

世界の情勢が大きく変動している時期にも日本のテレビでは離婚や結婚、文春砲がニュースの8割を占めますし、内戦や爆撃が繰り返されている世界をほとんどの人間は知りません。

フジテレビに6000人を超える反対デモが巻き起こった時もどの報道機関も大きくニュースには取り上げず(新聞にはのったりした模様)、ネットメディアが大きく報じるだけとなりました。

力士による暴力事件を何ヶ月も報じている間にも、西南沖で国際的な大規模タンカー事故が発生しました。これよる過去最悪ともいえる廃油の流出により奄美大島や沖縄県の海岸はヘドロだらけになり、一部の地域では清掃が間に合わず砂浜が真っ黒になりました。

もちろんこれも一切報道されず、SNSやYouTubeによる現地民の動画アップロードを通じて確認することになりました。

このような(特に力士)一部に大きく偏った報道が耐えられなくなってきたのです。力士を大きく報じるテレビもあれば、世界の情勢も報じるテレビもあるのが普通だと思うのですが、現在のテレビ局は報道に角が立ったり、主婦層が感心を持ちにくい話題から逃げがちです。

皆、足踏みを揃えるように全く同じ報道をする。どのチャンネルも力士になればそれ一色。海外、国内のインターネットメディアを並行して閲覧している身では、その報道内容の違いに吐き気がしてきたのです。

一度スイッチが入ると、もう戻れない

一度「この情報は本当に正しいのか」「もっと必要な情報があるのではないか」と気になり始めると、やっぱり偏った情報である内容は浮き彫りになってきます。

最近のテレビ局の報道(もしかしたら昔からかも知れない)は「真実よりも報道のしやすさ(都合の良さ)」が重要視されていることをつくづく実感しました。

細かい部分に事実と異なる相違があるのはもちろんです。もはや、ほぼそれと言ってもいいぐらい。パッと思いついたのをリスト化してみました。

安田純平氏の件。韓国人だと名乗った場面はカット。ありえない(絶対に障害が残る)拘束状態に疑いの目は向けられず。身代金詐欺(犯人と共犯)の説が濃厚になった頃には報道は沈黙。正しい情報だったとは思えない。
無限に続くモリカケ報道。本当にあの数ヶ月間はモリカケ一色が必要だったのか。尖閣に迫る中国は報道しなくてよかったのか。
Huawei問題。「ハードウェアを分解したら本来要らないものが見つかった」と報道。のちにHuaweiが公式で反対声明を発表。報道は「要らないソフトウェアが見つかった」と内容を変更。
山口”メンバー”笑 容疑者という単語はどこに消えた。
・タイのダム決壊による人為的大事故を自然災害による不幸な死亡事故と報道
・大坂なおみが”素晴らしい日本人”とする報道。日本語を強要するテレビ局。どう考えてもアメリカの人。
・やたら”日本は凄い!”をテーマにした番組。今は中国人が”中国の人件費は高いから日本で部品作らせて”と発言する時代です。

2018年頃のモノでパッと思いついたものをリスト化しましたが、あまりにも不可解な報道が多すぎる気がします。

好きだったテレビを捨てる決断

報道が不快になり、報道を軸とした情報バラエティ番組が不快となり、テレビ局の流行りをネタにしたバラエティが不快になり、気がつけばテレビをつけることが嫌になっていました。

報道とは関係のない映像系総集編のバラエティ番組でも、8割はネットで見たことがある投稿動画だったり、災害時の現地の映像はTwitterから勝手に流用したものだったりともう散々です。

実家に帰ってもリビングにはテレビがあるし、両親は相変わらずテレビを見ているし、ニュースを話しのネタにコミュケーションを取ります。これもかなり不快になってきました。もう、”あちら”で情報を仕入れる層とは完全に違う人種となってしまいました。

そんな経緯があり、今回の引っ越しでもう見なくなったテレビを捨てることにしたのです。なんだかんだで「災害時は情報収集に必要だ」とか「揺れた時に確認する」だとか「世間の流行りから置いていかれるのが嫌だ」とか理由を付けて今まで捨てていませんでした。

よくよく考えれば、流行りの情報はヤフーニュースでもランキング付きで見れるし、揺れれば気象庁やヤフー速報に表示されるし、災害時は停電でテレビが見れないことも多い。必要ないのではないか、と結論が出ました。

「使うと不快になる」アイテムを自宅に置いておく意味はありません。好きだった番組ももうありませんしね…。

ゲームや映画で使う映像機器はどうするのか?

テレビは見なくてもアニメ視聴やゲーム用途で画面が必要な場面はあります。今回の引っ越しでもその利用用途でテレビを新調しようか悩んだのですが、結論としては27インチのAMVA+モニターを買うことで解決しました。

16800円と安いし画面もフルHDで非常に綺麗。入力端子も充実してるし特に問題はありません。これにDVDとBDが見れるゲーム機とFireTVstickを繋ぐことによってブラウジングと動画配信サービスも使えるようにしました。

現在の用途を考えるとこれだけ機能があれば十分すぎるぐらい。コンシューマゲームは年一度ぐらいしかプレイしないし、映画、アニメもパソコンでサッと見てしまうことが多い。機能面はオーバーなぐらいです。

テレビを見なくなって寂しくなっていた部屋のBGMは、現在はYouTube垂れ流しで代用していますが、これをこのモニターに役割分担することができそうです。Alexaも所持しているのでもっと活用しようと思います。

テレビが大好きだった頃はもう戻ってこない、切り替えていこう。

さて、今回は「テレビが不快」と散々批判してきました。今は完全に”テレビ不要派”ですが、元々メッチャ好きだっただけにつけることさえ嫌になってしまった事実は本当に悲しい。

もちろん、今でもテレビが大好きな人はいると思うし、見るのをやめろ!とは言いません。人それぞれ、好きな報道、信じたい内容があります。私はそれがテレビと一致しなくなってしまいました。

私が歳をとったのか、テレビが変わったのか、情報の取得手段が増えたのか、ハッキリとした原因はわかりませんが、若年層は確実にこちら側に意見が傾いてきているように感じます。

以前「テレビを視聴者洗脳ツールとしてしか見れなくなってきた」と発言した有名人や私の友達がいましたが、今は私も似たような感覚を持っています。あまりにも内容が偏りすぎている。

皆さんは”テレビ”や”テレビ局”に関してどのような気持ちを抱いているでしょうか。ご両親と話が合わなくなってきたりはしてないでしょうか。今後の”視聴者側”の動きはどうなるのか、気になるところです。

コメント

  1. 名無しのサブカルオタク より:

    放送局は真剣にテレビにとって変わろうとしてるメディアに対抗するべきだと思う。